| 市町村の大規模合併論に反論する |
群馬県上野村長 黒澤丈夫 |
1 この合併を強行すれば、国土の約2分の1を占める山村や離島等に在住する国民は、自治に参加する立場を、大きく失うこととなる。 地方自治の主旨は、地域住民に身近な政治行政は、その地域の住民の意志に基づいて、自分達で執行させることに在るが、前記した人達の論拠に従って生れる、新しい自治体は、市街地を中核とする市とならざるを得ず、その意志決定や執行は、多数決原理の下では、人口の多い市街地住民本位となり、人口の少ない山村や離島地域の住民の立場は軽視される結果を招くからである。 これは、論理による推論ではない。 我々が、過去の市町村合併や農協、森林組合等の合併を通じて体験した結果によるもので、合併した地域の方々が軽視されて、一般に衰亡が早いのである。 合併を叫ぶ人は、投資効果を説くが、山村離島等の住民は、自治の権限を奪われて、投資を求める声すら小さくさせられるのであるから、自治そのものを失うのである。 合併論を叫ぶ人には、主張する合併の結果、国土の広大な地域で、自治権を失う国民が出ることを、考えてもらいたいのである。 2 人口当りの投資効果論や都市的発想による自治体合併論は、本来、国家の底辺社会の住民に、緊密に参加させる自治によって、きめ細かい政治行政をさせようとする、憲法に定める自治の思想と、相容れないところが多い。 自治は、同一の自治社会に在住する人達が、連帯協力して実行するもので、地域住民相互の間に、同一自治体の住民であるとの連帯意識が在らねばならない。 而してこの連帯意識は、同様な環境下に居て、相互に激しく交流する中から生れるもので、単に名目上、同一自治体に居住するだけでは生れにくく、比較的小さい地域社会の中に生まれるものである。 遠く離れて住む、市街地と僻地の山村離島の住民に同じ連帯意識を持てと言っても一般には無理なのである。 又地方自治は、住民が、己の属する自治体の政治行政の善悪に、利害を敏感に感じる範囲で行うべきもので、余り広大な地域や大人口の下では、本来実行しにくいものなのである。 このことは、つとに地方分権を主張された石橋湛山先生が、大正14年に社説の中で説いて居られる。 参考にそれを記すと、 地方自治体にとって肝要な点は、その一体を成す地域の比較的小なるにある。地域小にして、住民がその政治の善悪に利害を感ずること緊密に、従ってまたそこに集まっている者ならば、誰でも直ちにその政治の可否を判断することができ、同時にこれに関与し得る機会が多いから、地方自治体の政治は、真に住民自身が、自身のために、自身で行う政治たるを得る。(石橋湛山評論集、岩波文庫) ここに私が、前述した合併論を暴論だという論拠がある。 自治体に属する住民の一部に、自治に関与出来ない様な自治体を創出する合併は、全く自治を忘れた暴論である。 3 大規模な自治体は、都道府県に於ける自治と大差なく、真に住民参加が出来る、国家の底辺を成す自治体とは成り得ない。 住民が自治に関与出来る自治体には、前述してきたように、自ずから大きさに限度がある。 従って、市町村数を大幅に少なくする様な合併論は、都道府県に国家の底辺の自治をせよと言うのと大同小異で、更に小さい自治体が、その中に必要となる。 4 投資効果は、人口当りで求めるだけでは、片手落ちだ。国家という概念の中には国土もあるのだから、国土面積当りの投資効果論が在るべきである。 国土なくして国民生活は在り得ないのに、人口だけを重視して国土を忘れた自治体論は、余りにも人に捕らわれて、人間生活を忘れた発想ではあるまいか。 5 市町村の合併は、絶対に国が強制するものではなく、市町村住民の意志に委すべきである。 |
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