祖谷は高く険しい山々に囲まれた広大な山岳地帯である。
交通が極めて不便であったため、まったく外部と隔絶され、民衆の労働や文化も村外からの影響を受けることが少なかったと考えられる。
そのためこの地域には、中世以来の生活様式や独特の風俗・習慣が最近までほぼ原形に近い状態で伝承されてきた。
西祖谷山村は「祖谷のかずら橋」と屋島の戦いに敗れた平氏一族が逃れ、土着したと伝えられる隠田集落としても名高い。
雄大な自然と歴史に彩られた強烈な個性は、毎年多くの人を引き寄せ、観光の村として脚光を浴びている。

    
  

あたり一面を深い森に包まれた祖谷川に、「祖谷のかずら橘」は架かっている。向こう岸までの長さ45m、幅2m、水面からの高さ14m。足場の丸太の隙間からは谷底の激流が見え、足を踏み出すたびに左右にグラリと描れる。「見るからにわたるもいやのかずらばし身もはいかかる心地こそすれ」(浪花桃苗)と歌われるようにスリル満点の橋だが、観光シーズンの4〜11月にかけて年間50万人を趨える観光客が訪れる。
かずら橋の由来については、平家の落人が追手からのがれるために切り落とせるように造ったとする平家落人説や弘法大師創設説などロマンあふれる伝説が多いが、実際は原始時代からあった浮橋を流されないようと祖先らが空中に吊るし、安全のための工夫を加えながら今日の姿になったものと考えられる。
祖谷には、江戸〜明治時代には13のかずら橋があったと伝えられるが、大正末期には姿を消し、昭和3年、地元有志の協力によって、再び善徳にかずら橋が甦った。現在は渡る人の安全のためアンカー工事で補強されているものの、材料はすべて周辺の山々に多く自生するシラクチカズラを使い、まったくの手作業で作られる。耐用年数を考えて3年ごとに架け替えられているが、架け替えに際しては大変な人手と労力を要する。昔は古い橋の両端を一時に切り落としたため、橋が祖谷川に音をたてて墜落する壮観な光景が見られたという。

(国・県指定有形民俗文化財)


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