|
|
《神代踊り》
毎年旧暦の6月25日に天満神社に奉納される
|
|
《徳善屋敷》
阿波山岳武士の典型的な屋敷
|
《平家屋敷》
安徳帝の典医、堀川内記の子孫代々の屋敷。
|
|
《恵伊羅御子の墓所》
恵伊羅御子は1200年前にこの地に
入山した祖谷の開祖
|
《古宮神社》
|
|
《五所神社の大杉》
天然記念物。樹高44m、推定樹齢は1,100年。
|
祖谷の古代については史料がなく、詳細については明らかでないが、古くからこの地に住む人々が平家や源氏などの子孫と称していることや、多くの伝承から、住民の祖先は各地からの移住者であると考えられている。南北朝時代の山岳武士、四国平定後の「祖谷山一摸」などの誇り高い歴史を持つとともに、村内には、長く語り継がれた多くの伝説がある。
●恵伊羅御子と小野老婆
「祖谷の開祖」として語り継がれている人物である。彼らが入山したのは、今から約1200年前。すでにこの地に住み着いていた人々に農耕や機織の技を教えたとされる。閑定名の通称「お山さん」に墓がある。
●平家落人伝説
寿永4年(1185)、屋島の戦いで平家は敗れ、平教盛の次男・国盛は安徳天皇を奉じ、手勢百余騎を率いて祖谷に辿りついた。この地を永住の地と定め、平家の再興を祈りながら武芸の訓練に励んだと伝えられる。剣山周辺に安徳天皇や国盛ゆかりの場所や伝説が多く残るが、西祖谷山村にも、安徳帝の御典医だった堀川内記の子孫の屋敷とされる「平家屋敷」がある。建物は合掌造りで、現在は鎧や生活用具など約500点が展示されている。
●からうた姫伝説
今から660余年前の鎌倉時代、土佐に流された後醍醐天皇の第一皇子尊良親王の元へ向かうべく、身重の伽羅宇多姫とその一行が吉野川を遡って西祖谷山村に入られた。途中、村内の田ノ内名で出産。しかし若宮は亡くなられ、後に姫も産後の養生ままならず、土佐からの帰途、古宮獄で死去された。この伝説は広く世に知られ、本村では事実に近いものとして信じられ語り伝えられている。後に二人の霊を祀ってそれぞれの墓のそばに社が建てられ、それが現在の若宮神社と古宮神社である。古宮神社は今も安産の神として尊崇され、村内外から多数の参拝者が訪れている。
|