平成23年度全国山村振興連盟関東ブロック会議が、8月25日(木)〜26日(金)の二日間にわたり全国山村振興連盟群馬県支部(支部長 宮前鍬十郎 神流町長)の主催により群馬県中之条町において管内の会員、支部事務局等82名が参加して開催された。会議は、矢島正弘群馬県支部支部事務局次長の司会のもとで進められ、その概要は次のとおりとなっている。

1.あいさつ
 主催者あいさつが宮前支部長から、来賓あいさつが細野初男 群馬県企画部長からあった。
 来賓として、次の者が紹介された。(敬称省略)
  農林水産省中山間地域振興課課長補佐 小倉春喜
  国土交通省国土政策局地方振興課企画専門官 上森康幹
  林野庁森林整備部森林総合利用・山村振興室課長補佐 油井章次郎
  国土交通省国土政策局地方振興課係長  矢島和貴
  関東農政局整備部地域整備課山村振興係長 渡邊利津子

 全国山村振興連盟の役員として、次の者が紹介された。(敬称省略)
  全国山村振興連盟副会長 長野県泰阜村長 松島貞治
  全国山村振興連盟常務理事兼事務局長 岸 廣昭

2.議事
(1)情勢報告 全国山村振興連盟 岸 廣昭 事務局長

  山村振興のための予算・施策の確保に向けての活動状況、東日本大震災復興基本
 方針、鳥獣被害防止特別措置法等の一部を改正する法案の国会提出の動き等につい
 て報告がなされた。

(2)国の施策説明
  農林水産省、国土交通省及び林野庁の担当者から次のとおり説明があった。
  (説明項目のみで、内容は省略。)
 @「農山漁村被災者受入れ支援等について」 
          農林水産省中山間地域振興課 小倉春喜課長補佐 
  農山漁村被災者受入れ支援、中山間地域等直接支払制度の概要、振興山村におけ
  る工業用機械等に係る特別償却≪所得税・法人税≫、振興山村・過疎地域経営改
  善資金、中山間地域活性化資金

 A「国土交通省の山村振興対策について」
          国土交通省地方振興課 上森康幹企画専門官 
  基幹的な道路の都道府県代行整備、集落活性化推進事業、「新しい公共」の担い手に
  よる地域づくり推進経費、社会資本整備総合交付金。 
  国土交通省における東日本大震災の復旧・復興に向けた対応

 B「これからの森林・林業の再生に向けて」
          林野庁森林総合利用・山村振興室 油井章次郎課長補佐
  「森林・林業基本計画」及び「全国森林計画」の変更、森林法の改正。
  森林・林業の再生に向けた改革内容
  国際森林年
  
3.事例発表
(1)「重伝建あかいわの地域づくり」
          赤岩重伝建保存活性化委員会会長 篠原辰夫
  中之条町六合地区の概況(観光資源、伝統文化の5つの里)、六合赤岩地区の概況、
  重要伝統的建造物群保存活用への取り組み、赤岩地区の地域づくりの取り組み(ソフ
  ト事業、ハード事業)等について映像を活用して説明が行われた。
 
(2)「アートな町づくり」
          中之条ビエンナーレ 総合ディレクター 山重徹夫
  中之条ビエンナーレの由来、今回の展示内容等について映像を活用して説明がなされ
  た。

4.講演
 「田舎のみらい」 
          中之条町長(全国山村振興連盟群馬県副支部長)入内島道隆 
 山村振興の理念等について講演が行われた。
講演の要旨は次のとおり。
 六合村との合併に際し町のアイデンティティを確立してお互いの町を町を作っていこう、さらに、町外の人にも中之条町をアッピールしたいと今年の8月に町の歌を作った。作詞・作曲は中之条町出身の割田康彦さんにお願いした。それを聞いていただければ、町の概要は大体分かっていただけると思う。
「春霞 ウグイス 山桜 あぜ道に咲く れんげ草 鯉のぼり 五月雨 あじさい花 旧き木造校舎(まなびや) 夏の雲 嵩山 日向見 野坂湖をめぐり ヤマユリ  せせらぎ いにしえの郷 中之条は 中之条は 春には 春の花々が咲き
 夏には 夏の微風(そよかぜ)が吹く 谷を越え おいでなせ このまちへ

 蝉時雨 御神輿 夕まぐれ 祇園祭に 夏は過ぎて つむじ風 茅葺き ケヤキの 杜 落ち葉の小道 秋は暮坂 四万 沢渡 尻焼の湯につかり 暮市 鳥追い 雪 山の里 中之条は 中之条は 秋には 秋の実りがあり 冬には 冬のぬくもりが ある 山を越え おいでなせ このまちへ」

 「田舎のみらい」ということだが、ドラッカー博士は「未来を予測する最良の方法は未来を作ることだ」と言っている。我々はどうしても地方は都会の方に目がいって、都会のようになれれば繁栄できると思っていたが、それが一番の間違いであると私は思っている。都市の真似をずっとして来たわけですが、物まねをどんなうまい芸人がやっても本人を超えたという話は聞いたことがない。田舎の魅力ということですが、村の良さを発信していく必要があると思う。平成16年の合併の時に私、合併して村になろうと言いました。合併して市になろうというところは五万とありますが、村になろうというところは一つも無かったと思います。私は言ったが、99%の人にやはりだめと言われた。田舎の魅力を発信していかないと生き残っていく道はないと思いますが、それを地域の人達に理解してもらうのが難しい。
 39町村が加盟している「日本で最も美しい村連合」は、昨年「世界で最も美しい村連合」に加入しました。フランス、イタリア、ベルギー、カナダ、日本で構成しています。こういうことで村文化を発信していくことが必要だと思います。都市は都市なりのいろんな苦労をしている。20世紀は重工業の時代ですから、都市の世紀だったと思いますが、21世紀は都市の空洞化が始まっている。今の世界は一言で例えると「柵のない動物園」ではないかと思う。そうであると、弱肉強食で弱い小動物は一気にいなくなってしまうが、それが今の世界の状況ではないかと思う。
 そういう中で世界の都市は非常に苦労をしている。例えばスペインのビルバオ市は1970年代までは造船業で非常に活況を呈していましたが、それ以降は、産業はだめになってきた。それをどうするかということで現代アートで再生しようということになった。ビルバオ・グッデンハイム美術館は建設費に1億ドルをかけた。しかし、直接雇用で4千人、間接雇用を含めると4万人。5年間で515万人の入館者。
工場がエンジンになるのではなく、これからはクリエイティブがエンジンになる。クリエイティブ・クラスが集まる地域が発展する、これが今の創造都市の流れである。
 我々は都市の真似をしてきましたが、これからは都市が目指すものを我々も目指していかないと何時になっても都市の後追いで終わってしまう。
 これまでの歴史からみると、集積の利益があったと思います。何処に人が集まるかですが、最初は肥沃な大地に人が集まった。4大文明の発生した場所も肥沃な土地でした。産業革命まではそういった状態でした。その後はどうかといいますと交通の結節点に人が集まった。日本でいえば東京がその例だと思いますが、そこに人が集積した。これからはどうなるかを考えると、やはりクリエイティブだろうと思います。これはリチャード・フロリダとかそういった学者も言っていますが、世界を通じてその方向にいっているのではないかと思います。
 ただ我々地方は、今、第2段階の交通の結節点を模索している。高速道路がない、新幹線がない、そういうものを整備したいという段階にいるわけで、それはそれでやらなければいけないが、その段階は実は過ぎていることを認識していかなくてはならない。中之条ビエンナーレは何を目指しているかと言えば、先ほどのスペインのビルバオのグッデンハイム美術館で行ったことを美術館を作らずに同じ効果を得られないかということでやっている。
 林業のことですが、今年から町の木で作った机を子供達に使ってもらおうと、それだけでは面白くないのでデザインを募集して、10個のデザインの応募がありました。本来なら10個の机の中から子供達に選ばせて好きなものを使用してもらえればいいのですが、そこまでは学校では受け入れてもらえません。個性を磨く教育がこれからは必要になってくると思います。林業振興では木を出すということが必要だと思いま                                         す。
 最後に歴史の必然ということですが、どこかにひとつの方向に向かって動いていると思います。それは一言で言うと人間らしさになる。人間らしく生きるためにはどうしたらいいかということをつきつめていく必要があると思います。
それを一番端的に表しているのが、「アメリカン・ドリーム」(スタッズ・ターケル著、中山容訳)の中の「森の人」、オレゴンの樵の話です。それの最後の部分だけを読ませてもらいます。
「金持ちにならず生涯を送れるなんて、おそらく、人が望める最高の人生じゃないかな。今まで一度も自分が負け犬だとか貧乏人だとか感じたことはない。いろんな点でおれは豊かだよ。自分がこの地上にいるかぎり、この美しさを守り、それを次の世代にひきつぐことが、おれの責任だって感じているんだ。もしおれがなにもひきつぐものがないとしたら、こどもやこどものこどもたちにはひどい世界しか残らないことになってしまう。
 おれの信念はこうなんだ。おれたちのまわりにある美しいもの、偉大なものと共にいてこそ、人間は互いに殺しあいたいというようなバカげた憎しみを社会からとりのぞくことができる。この世のものとなって人間はまだ日が浅い。なのにその短い年月を互いに憎しみあい殺しあうなんて信じられないことじゃないか。」
こう書いてあります。「アメリカン・ドリーム」という本の中に書いてあることに感心したのですが、経済中心で生きていたのではだめなんだということを、樵の人が言っている。そういう方が人間らしいのではないか。歴史の中ではそういうことに最終的には行きつくのだと思い。そうなった時には山村のくらしというものは非常に大切ではないかと思います。そういつ新しい立場を作っていくのが私達山村振興連盟に集うものの役割ではないかと思います。

5.次回開催県  
 次回開催県であるの山梨県支部長 中込博文 南アルプス市長から挨拶が行われた。

6.現地視察
 翌26日に「中之条ビエンナーレ2011」の作品展示会場を数か所視察した。
 公式ガイドブック、中之条町のHP等から中之条ビエンナーレの概要を整理してみると次のとおり。
 なお、「中之条ビエンナーレ2009」には約15万人の来場者があったが、今回は約30万人の来場者が期待されている。

 ○ 公式ガイドブックからの引用
 中之条ビエンナーレ2011
 2011.8.20(sat)-10.2(sun)9:30-17:30 木曜定休/入場無料
 展示会場 町内43ケ所 参加アーティスト数125人

 温泉+故郷+アートんの祭典
 ことしの夏、温泉の街が美術館に変わります。 
 舞台は中之条町全域。参加するアーティストは100名以上。
 湯治場として古い歴史をもつ温泉郷や、養蚕文化が息づく農家。
 里山に数多く残る木造校舎。
 アーティストがその場所を選び、「感じたもの」「見えなくなったもの」を形にする。
 全てはこの場所でしか出来ないこと。
 企画から運営までのすべてがアーティスト主導で行われる。
 大切なことはこの土地とそこに住む人間と向き合うこと。
 作家同士または地元の人と交流し沢山の価値観が交差する。
 みんなでつくる。
 みんながつながる美術館
 ○ 中之条町のHPからの引用
 二年に一度、四万・尻焼など多くの温泉郷を有する群馬県中之条町に、国内外から多くのアーティストが集い、木造校舎や商店街など町全体を美術館に変えてしまいます。
 アーティスト自ら場所を選び、風土に触れ、住民と交流して展示空間を作り上げます。
 この土地で生まれた作品は、訪れる人を魅了すると共に、この地で生きる人々に新鮮な驚きと発見を与えてくれます。人が人と当たり前に繋がり合うこの町で、作家・住人・観客が一緒に作り上げる大規模アートイベント、第3回中之条ビエンナーレがいよいよ始まります。
 ○ 中之条町のHPからの引用
みんなでつくる。
みんながつながる美術際
 2006年夏、群馬県中之条町で6人の仲間と共同でアトリエを借りることになった。
役場に紹介して頂いたのは伊参(いさま)スタジオと呼ばれる、今は廃校になってしまった木造校舎の一室だった。偶然にもこの 伊参スタジオは大学を卒業したときに、友人達と遊びに来て宿泊した思い出のある場所で、こうやって再び巡り会えたのも何かの縁だろう。初めてこの校舎に出会ったとき、どこか懐かしく、優しく、そして人を引きつける力を感じた。
 「なにか特別な事が始まる」そんなわくわくする気持ちを感じながら、この歴史が詰まっている校舎に絵の具やパネルなどの画材を運び込んだことを覚えている。大学を卒業してからというもの、都内の会社に就職して殆どの時間を仕事に打ち込んでいた。私にとっては仲間と共同でアトリエを持ち、作品の制作ができるということだけでも大きな喜びだった。会社から独立してデザイン事務所を立ち上げ、仕事が軌道に乗ると自分の時間が持てるようになり、早々に仕事が終り休日が取れると中之条のアトリエに行く事が楽しみになっていた。

 最初は作品制作の場所だけの筈であったのだが、地元の方々が野菜を差し入れてくれたり、一緒に食事に誘われたりと、だんだんとこの土地での交流や繋がりが増え始めた。上京して十数年という時間が経ち、同じ土地に住む人同士の関わり合いというものを長らく忘れていた。住んでいるマンションの隣人の顔も知らない生活に気楽さを感じながらも、どこか孤立した生活に寂しさを感じる。そんなとき、近所の人が野菜を差し入れに来てくれて立ち話に花が咲くことに素直に喜びを感じた。中之条の土地と繋がるにつれて、この場所で展示をしてみたいと思うようになった。それまで展示は都内のギャラリーですることが当たり前だと思っていた私は、作品を作った場所で作品の展示をするという当たり前の事に気づいていなかった。
「中之条でビエンナーレをやりたい。」
 数年前にヴェネツィアビエンナーレを訪れてから、自分でも一度アートイベントをやりたいと考えていた。アトリエの仲間だけで小規模にやることも出来たのだが、この素晴らしい土地の風土と人を、出来るだけ多くの人に紹介したいと欲が出てきた。自分が今まで培ってきたものを全力で出し尽くし、一緒に道を進む仲間がいれば、どんなことでも出来るという強い気持ちがあった。鉄は熱いうちに打てと、中之条で生まれた熱気は瞬く間に多くの場所に広がった。
 作家に声をかけ始めたのはイベントが開催される数ヶ月前にもかかわらず、賛同してくれる作家仲間が次々と手を挙げてくれた。
 2007年夏、こうして多くの力が中之条に集まり「中之条ビエンナーレ」という一つの形が生まれた。土地の人、参加してくれた作家達、訪れたお客さん、様々な人達がこのビエンナーレで入り交じり、作品と対面して多くの大切なものを産み落としてくれた。
それは大きな可能性と感動を未来につなぐものだと私は信じている。
そして中之条ビエンナーレ2007は幕を閉じ、スタッフは思い出を携え各々の生活に戻った。
 それから2年の月日が経ち、2009年再び私たちは伊参スタジオに集まった。第1回に出来なかったことを全て詰め込もうと、アー ティスト・イン・レジデンスやレストラン、カフェ、ショップなど色々なことを実現し、参加作家と作品数は前回の2倍を超えるほどの一大アートイベントとなった。スタッフのみんなが力を合わせ多くの人に助けられたおかげで、イベント来場者は16万人を超えるほどの大賑わいだった。各会場の入り口では地元の方々が赤飯やおやきでお客さんをもてなし、遠くの土地に住むもの同士が笑顔で混じり合い、楽しそうにしている姿がいまでも印象に残っている。

 その後、この場所でもっと多くの人と繋がり、自分にとって価値のあるものを生み出していきたいと思い、私は中之条に移住することを決めた。住み慣れない土地は色々と大変なことはあるが、今もたくさんの仲間が支えてくれている。そして楽しみにしてくれる町の人がいる。それだけでこの土地で生きていく理由になった。
これから、この土地で起こるであろう何かに向かって、私は全力で進んでいきたいと思う。
 ビエンナーレの第1回は1つの点でしかなかったが、第2回で点は線となり進むべき方向を見せてくれたと思う。第3回には線から面となり、もっと多くの人に見える形として価値を持つものになることを願っている。2011年夏、中之条ビエンナーレ2011が、どれだけの人を結びつけるのか、どんな感動が待っているのかいまから楽しみにしている。
 総合ディレクター 山重徹夫



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